ジーノ・ストラダ 著 紀伊国屋書店
著者はイタリア人の戦場外科医。
エマージェンシーというNPОの創立者の一人でもあるという。
イラク、アフガニスタン、アンゴラ、エチオピア、ペルーなどの戦場で活動していて、その経験を書いている。
ちょうちょ地雷とは、緑色の羽のついた地雷のことで、ヘリなどから撒くとヒラヒラと舞いながら地上に落ちる地雷のこと。
子供が面白がって拾い、遊んでいると爆発する仕掛けになっている。
最初から子供を狙った地雷なのだ。
そういう地雷はじつはかなり種類も多い。
あるところに地雷が大量に展示してあった。
我々がイメージする缶詰のような地雷もあった。
踏むとピョンと1mほどジャンプしてから効率よく周りの人間を殺傷できるようにしたものもあった。
え これ 地雷なの?
というような形 ぬいぐるみにしかみえないもの お菓子にしかみえないもの
もあった。
地雷の目的は、「殺す」ことだけではない。
手足を吹き飛ばすだけでもいい→助かって命を永らえても一生不遇→それを見せつけ敵に恐怖を与える。
というような思想で作られている。
そのためには子供の犠牲者のほうが都合が良いのかもしれない。
その他にも銃撃の犠牲者、爆弾の破片の犠牲者などなど、手足を失ったり、失明したり そういう子供がこの本にはたくさん登場する。
読んでいてとても心の痛む本だ。
20世紀後半以降、戦争の犠牲者の90%以上は非戦闘員である女性、子供であるという。
氏の統計でも、93%以上は女子供であったという。
率直に書かれていて何も隠されてはいない。
国連職員の傲慢さ、果てしない政治家との交渉、自国イタリア閣僚への批判もある。
実際、著者たちの運動のおかげでイタリア政府は対人地雷の製造、売買を禁止する法律を作り上げた。
すばらしいことだ。
この本を読んでいる間はずっと緊張しっぱなしだ。
快復に向かう子供が時々登場することだけが救いである。
時に残酷な選択を迫られることもある。
負傷した戦闘員をほったらかしにして、子供の治療を優先させるようなこともある。
神ではない著者はいつも苦悩し、あえいでいる。
ベトナム戦争のときにはデモに参加したこともあったという。
そのときと同じ動機で今も活動しているという。
立派だ。この人は本物だ。
日本のデモを見るがいい。
ただの祭りだ。
音楽や踊りでは何も変わりゃしない。歌い、踊り狂って自分に酔い、祭りが終わればすっかり忘れてしまい、そのうち飽きる。
そんな余分な労力があるのならその分働いてエマージェンシーに寄付でもしたらいいのに。
新潮新書 磯山道史著
磯山氏は俺と同年代。
あまり詳しく書くといけないのだろうが、
時代は幕末から維新後、加賀藩の武士猪山家の生活を紹介している本。
猪山家は藩の会計係。
武士の体面を保つため借金だらけでにっちもさっちもいかなくなった。
そこで借金の清算と節約大作戦を断行するのだが・・・
娘の祝い事のため、絵に描いた鯛を飾る。
跡取り息子のために筆や紙には出費を惜しまない。
父親の小遣いは年5,000円あまり。
家のために嫁入り道具の晴れ着を売る。
などなど
武士もいろいろがんばっていたんだな。
あふれんばかりの家族愛を感じる本である。
今、こういう世知辛い世の中だからこそ見直されるべき一冊。
千葉在住のサラリーマン
休みの日はだいたい海
釣った魚は基本的に自分で捌いて自分で食う